同一性の保持 安全な広げ方と規模縮小
例えば、一昔前にテレビ番組で流行したアハ体験くらいの負荷が好ましいと考える。ある写真の一部が短時間に変化するが変わった所はどこか当てると脳によいらしい。
だいたい背景色か物が消える等、真剣に見るとてんで分からないが答えを見るとなんだこんなことかと拍子抜けする。
下の参考文献の著書は、こだわりへの尊重スキルが素晴らしく大変参考になった。
安全が脅かされた状態では、こだわりを掴む手も力が入るが代替案が色々あるとわかれば力も緩むというもの。探偵になったつもりでいどみたい課題だ。
アハ体験も前のめりで番組に臨めばドツボにハマるが、案外見つけてやろう!などとは思わずに眺めている方がかえって発見しやすいものである。
ひとつ問題提起があるとすれば、個々のキャパシティを考えないと、広げ続けることにハマり健常者になれるかもしれないと期待を持つことは当事者にとって酷なことである。広げ方のスキルを身につけた後は、何を広げないかの視点とスキルが必要になってくるだろう。さらには一度広げてしまったところを元に戻す必要すら出てくるかもしれない。
いずれにしろ、同一性の保持は当事者にとってなくてはならない言語であり、ライフスタイルの変化とともに生涯ついて回るので、都度上手い付き合い方を考えていきたいものである。
きっとそれは意識しなくなったとしても心の筋肉となり、私を支えてくれる大切な一助であることに変わりはないはずだからだ。
同一性の保持へのこだわりがなくなる=健常者に近づくという方程式で、私のこだわりが吸収されたことを周りに喜ばれるというのは、ちょっと寂しい反応なのである。
参考文献:『自閉症スペクトラムとこだわり行動への対処法』著:白石雅一 東京書籍出版
いちASD者にとって、同一性の保持とは何か
発達障害におけるASDがあると特性として「同一性を好む」と言われることがままある。
・支援者に相談しているとき「やっぱりルーティンが好きなんですねー」という何気ない一言をもらった。私個人に向けてではなく、相手の学んだ知識と体験の重なりを実感したといったニュアンスの感想であった。
・その発言に対して、なにか言いたい気持ちがふわっと発生したが、つかみ所もなく故に具体的な言葉に繋がらずよって出力されることもなかった。
・言語化ができたらいつか伝えようと、虚無箱に入れておいたが、思いのほかはやく言語化できた。
・私にとって同一性が好きと言われるのは「いつも日本語を喋っているから、日本語が相当好きなのね」と言われたような感覚である。
選択肢がなく、日常に溶け込んでおりわざわざその事について話もしない。
私にとって母語といっていいだろう。
私のロールモデルになった某自閉症の書籍で有名な方は「私の第一言語は絵と文字です」と言ったが、私には同一性の保持とはこの第一言語に近いものと言えよう。
もしくは、思考における点字ブロックのようなものと言えるかもしれない。
それについてはまたまとめるとしよう。