隣の芝生、みんな違ってみんな地獄
隣の芝生は青いというが、一体全体どういう了見だというのだ。
周囲を見渡し手持ちのカードと見比べて、アレがないコレがないと発見するだけの時間を持っている。
溺れている時に、誰かの芝生の色に見解を述べていれば、手持ちの寿命を失うだけだ。
誰も彼も地獄にいる時、誰も彼もが試行錯誤している。
そうでなければ、死人に口なしよろしく退場していくほかない。
試行錯誤の種類がなんであれ、誰かを引きずり落として自分の足場にしたり、自分の荷物を他人の荷物に紛れ込ませたり、努力が足りないと暴言を吐きつつ自らの存在を称えたり、他人のカードを盗んだとて、地獄に存在するカードはそう多くない。
そこで生きる者達は皆サバイバーであり、サバイバル技術を持ち合わせている。
自らに希望を見いだしたり、蜘蛛の糸よろしく一呼吸おけるだけの某かを有しているものだ。
それは日々地獄に適応していると言って良いだろう。
これらの技術が日の目を見ることがあれば、地獄の濃度も少しは軽くなるかもしれない。
それは発達障害の当事者にも適用されるかもしれない。
まだ幼い当事者を養育する母親達にも適用されるといい。
そのためにも、当事者でも役立つ何かを綴るブログになればいいな。
そしてまず、月一でもいい続けることだ。
続かなかったら向いてない、方向転換を考えることとしよう。